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活動経緯

「患者と医療側の信頼関係を基盤に据えよ」
基調講演「医療基本法はなぜ必要か」
東北大学名誉教授 日野秀逸氏

 医療基本法がなぜ必要か、私見を述べます。日本には基本法という名のついた法律は40本ほどありますが、そのうち31本は平成になってから制定されています。これは社会の問題が複雑化して、国民生活のあつれきが増え、従来の法体制だけでは間に合わなくなったことから、基本法の制定が必要になったためと考えられます。

 どの基本法も、それぞれの分野で「国民の権利」をはっきりさせ、具体化する手立てを盛り込んでいるのが特徴です。その点、医療は国民生活にも行政にも重要な分野でありながら、ここ数年、国民の切実な需要に応え切れない制度のほころびが目立ってきています。国民、より直接的には患者の権利を基本に据えた法体系の整備が必要ではないか。これが、医療基本法が必要な最大の理由ではないかと思います。

 日本の憲法第13条では国民の「幸福追求権」が規定され、それを受けて第25条の中に「医療を受ける権利」が明記されています。これに従って医療施設、専門職、特定疾患、支払い方法などに関してさまざまな関連法が制定されましたが、患者と医療機関、患者と医師といった関係について律する法律はありません。当初は、医療を担う主体は医療提供側であり、患者側ではないという認識だったためです。

 しかし、1960年代から公害や薬害などで患者被害というものがストレートに出てきて、医療体制に対する不信が芽生えてきました。70年代前半に「医療崩壊」という言葉が生まれたと記憶しています。「医療黒書」の発行など、市民自らの手で問題を明らかにしようとする動きが活発になりました。

 政府も、69年の佐藤内閣当時に「国民医療対策大綱」を策定して、日本の医療が量的に遅れているという認識の基に「一県一医科大学構想」などの医療の充実を図ろうとしました。しかし、「患者の権利」という発想まではなかった。

 80年代になると、欧米から「患者の権利宣言」が入るなど、日本でも論議の舞台に上ってきました。90年代には、医療提供側からも患者側からも問題提起や要綱案などが出てきて、医療基本法制定に向けた機が次第に熟してきたことをうかがわせます。

 医療側と患者は「パートナー」に

 医療基本法の制定について、直接的な要件となったのは次の3点です。

 一つは、医療体制が従来の法体系では間に合わなくなってきたこと。二つめは、とりわけ06年に重大な医療事故が相次いで医療の供給不足が明白になり、これが患者の権利意識と重なって大きな問題になったこと。三つめは法律、通達、条令などがジャングルのように張りめぐらされて非常に複雑な体系になっており、大々的な整理が必要になっていること。これらが、医療基本法が必要な契機となりました。

 その際、参考にすべき考え方として、まず17世紀の英国思想家、ジョン・ロックによる「ロック・モデル」があります。

 ロックは自身が医師でもあったことから、近代市民社会における民主主義下の健康に関する自己主権を規定した「ロック・モデル」を提唱しました。これは「自分の健康については自分が決定するものであり、他人に指図されるものではない」という考えがベースになっています。しかし、一般市民があらゆることを自分で判断するのは不可能ですから、その場合は医師、弁護士、教師らの専門家が市民をサポートする「コンサルテーション」の役割を果たすという考え方です。

 しかし、ロック・モデルをベースとしながらも、医療の対象は長年にわたって急性疾患・手術がもっぱらで、「医療は医者に任せておけ」という発想が一般的でした。
それが、医学・医療の発展や環境衛生の向上などによって、慢性疾患が医療の手に届くようになると、患者・家族が医療労働の重要な担い手になり、20世紀も後半に入ると、医師と患者の信頼関係が不可欠になってきました。患者・家族抜きにして医療労働は成り立たない。両者が「パートナー」の時代になったのです。

 これらを踏まえると、医療基本法のスタンスも患者と医師の信頼関係をどう作り上げるかが重要なポイントになります。これについては、すでにスウェーデンで実施している「信頼促進委員会」が参考になります。医療事故や苦情などを刑事捜査とは別に、第三者委員会の信頼促進委が審査し、金銭解決も含めて両者の信頼を促進するのが目的です。

 また、英国ではNHS(国民健康サービス)について王立調査委員会が1979年に出した報告で、問題解決にあたっては米国型の訴訟ではなく、患者と専門職の信頼関係を主軸に据えるとしています。この基本方針を受けて、患者の権利などに関する勉強が国民規模で活発に行われています。

 一方、医療には独特な制約条件があるのも事実であり、これを国民的な認識とする必要があります。一般に、患者側は医療側に対する要求水準が高いのに対して、医療技術や医師の技能などが、なかなかそれに追いつかないのが実情です。また、「生物体に対する働きかけ」の常として、医療側が100%の確約はできないという不確実性があります。このギャップを国民レベルで理性的に認識し合いながら、ギャップを埋める制度や法律が求められるのです。医療基本法には、そのような基本精神が盛られる必要があります。

 日本では近年、医療提供者、医療利用者などさまざまなステークホルダーから問題提起されており、それは好ましいことです。とくに、06年ごろからの医療基本法制定に向けた大きな機運は、医療崩壊という重要な局面に端を発しており、今こそ制定に向けた国民的な議論を巻き起こしてほしいと思います。